移民考 [フランス、タイ、そして日本]

移民考  [フランス、タイ、そして日本]

移民について、つらつらと考えてみる。 

今年に入って早々に襲撃を受けたシャルリー・エブド紙は、イスラム過激派によるテロの標的の一つに過ぎなかったが、世界の人々の関心は『言論の自由』をめぐる議論に集中した。

手元に統計資料があるわけではないので、大雑把な印象で語らせてもらうが、ネット上では、西洋人の多くが言論の自由を守れと声をあげ、ツイッター民は自分のツイートに #jesuischarlie というようなハッシュタグを貼り、それはそれまで共有されたどんなハッシュタグの数をも超えることとなった。"Je suis Charlie."は「私はシャルリー」の意であり、シャルリー・エブド紙への同情や支持のメッセージだ。一方日本では反対に、それまでのシャルリー・エブド紙の記事の風刺画があらためて紹介され、それらを見た多くのネットユーザーが眉を顰めた。股を開いたマリアがイエスを産むところや肛門を向けるムハンマドなど下劣極まりない風刺画のオンパレードだからであった。テロリストを賞賛するものなどいないが、多くの日本人がごく自然に「良識」というものを信じていることを指し示す証左ともなった。

西洋社会でテロを行うイスラム過激派の目的の一つは、西洋の人々の意識を『イスラム教キリスト教の文化対立』という構図に収斂させて、ヨーロッパでのイスラム教徒への反感を煽り、一部のイスラム教徒を自分たちの側に引き寄せることにあると考えられるが、シャルリー・エブド紙の襲撃はその目的に沿う結果となっただろうか。

ヨーロッパの人々の間に起こった反応について見てみると、興味深い逆転現象があるように思われる。

フランスで移民政策をメインに推し進めてきたのは、移民に対して理解ある態度をとってきたリベラルな共和主義者達であるが、彼らは今回のテロに対して言論の自由を訴えて過激派を激しく糾弾したであろう。反対に保守の側からはシャルリー・エブド紙の良識を問う声も出た。例えば保守陣営の代表とも言えるローマ教皇は「他人を害するならば口にすべきではない」として暗にシャルリー・エブド紙をも批判したのである。もちろんそれは今までシャルリー・エブド紙に攻撃されてきた「被害者」の声でもある。

なぜシャルリー・エブド紙が、キリスト教イスラム教に対する尊重を示す代わりに、それらを悪し様に下劣なやり方でこき下ろし得意気になるのか。それを理解するにはフランスという国家の成り立ちを考えねばならない。

現在のフランスの第五共和制体は、ソ連や中国と同じように革命によって成り立った政治体制の直系の血筋を引いている。革命によってそれまでの王制は崩壊、革命裁判によって、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは処刑、王太子ルイ17世も二年の幽閉中に死亡する。

また王権と結びついていた特権階級である聖職者は徹底的な弾圧を受けた。

「革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められ、溶かされた。こうして、クリュニー修道院やサント=ジュヌヴィエーヴ修道院などの由緒ある教会・修道院が破壊されると共に蔵書などの貴重な文化遺産が失われた。破壊を免れた教会や修道院も、モン・サン=ミシェル修道院のように、牢獄や倉庫、工場などに転用された。エベールらは「理性」を神聖視し、これを神として「理性の祭典」を挙行した。ロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「最高存在の祭典」を開催した。」

後にはナポレオンがローマ教皇と和解するが、このような共和政体の出自は革命の精神として今だに色濃く残り、現在の共和主義者達の中にも宗教に対する強い反感がある。

フランスが2011年に公共の場でのブルカ着用を法律で禁止した時には世界が驚いた。フランスという国を彼らが自称するような「自由の国」だと考えていたからだ。この法律にはさすがに国際人権団体アムネスティ・インターナショナルまでもが、「国家は人々に何を着るべきか指示すべきでなく、個人の選択の自由を認めるべきだ」と反発を示した。

しかし共和主義者の考える自由というアイディアは、宗教からの自由をも内包するものであり、これを理性主義とみなすことも出来ようが、別の言葉では世俗主義である。その世俗主義に則って、フランスの公教育の現場では、次々とキリスト教的なものが排除されてきたのであった。このフランスの根本にある世俗主義原理はライシテ原理と呼ばれる。このような歴史的文脈を理解すると、フランスにおけるブルカ禁止法がそれほどまでには突飛なものでないことがわかる。

またフランスの世俗主義は、共産主義がそうであったように、宗教が担ってきた道徳的役割を否定する面もあった。世俗主義者にとっては「良識」は相対的なものでしかない。このことが畢竟シャルリー・エブド紙の自由を尊重する西洋人と、その良識のなさを批判する日本人との間の分かれ目となったと考えられる。この点を見ると日本とフランスでは価値観を共有していると言えるかどうかは疑わしい。日本においては世俗主義者は少数派である。

フランス移民の中心は、特に戦後のめざましい経済発展期に労働力不足を補うために受け入れられた人々である。

現在日本においても労働力不足を補うために移民政策が議論されている。主にリベラルの人々が推進派であり、保守の人々が慎重派だ。特に中国人と韓国人は出身国と結びついた政治的活動を行う可能性が高いと警戒されている。

シャルリー・エブド紙の事件は、移民問題における日本の慎重論の立場を後押しすることになっただろう。しかし推進派も慎重派も、ヨーロッパの移民問題は国ごとに個別に深く観察することが大切であろう。

フランスにおいて移民政策を進め、彼らをサポートしてきたのはリベラルな共和主義者達だ。日本でもそうだが、概して共和主義者の人々は、移民に理解ある態度を取ろうとするが、移民を理解しようとはしない。リベラルは彼ら自身がイスラム教を理解するかわりに、リベラルが信奉する世俗主義という「真理」を彼らが受け入れるのが当然であると考えてきた。

そして移民の二世や三世も実際には公教育を通してフランスの世俗主義というものを学んできたのであった。しかし現在彼らの一部が、父母や祖父母が大切にしていた宗教へと回帰して行く現象が現在フランスにおいて見られる。その原因として識者は、現実の社会で差別や失業に直面し、彼らが教わった理念に対する不信感の産んだ帰結である、と説明する。つまり彼らの失業問題こそが問題の中心である、と。

それはそれでテロリストの出現に関する説明とはなるだろうが、社会に適応している移民の子孫の中にもブルカをつける人々が出てきていることは説明出来ない。何か大切なことを見落としててはいないだろうか。

フランスの政教分離主義が究極的に望んでいることは、学校や職場では「自由」なフランス人であり、家庭に戻るとキリスト教徒やイスラム教徒に戻る姿のように見える。しかしイスラム教に触れたことのある人なら、ある場所ある時にだけイスラム教徒である、という考えはあり得ない。イスラム教徒であるということは、いつどこにあろうがそこは神の家である、ということだ。

私の当該分野の知識は少ないので、単に問題提起として言わせていただくが、フランスの世俗主義という国家原理は彼ら自身が考えるほど普遍的なものではなく、反対に不寛容で狭量な思想であり、本来多様な文化を受け入れる土壌がないのではないか。フランス共和制のスローガンである「自由・平等・博愛」の「博愛」は最近ではより原義に近い「友愛」と訳される。フラテルニテは友愛、同胞愛の意であり、本来共和主義者の閉じたサークルに属するメンバー間の愛情を指し示す言葉なのである。そして誰でもがそのサークルに入れるわけではない。

現在フランスにおいては国民戦線のような保守派が移民に反対しており、総じてリベラル的傾向の強いメディアは彼等を批判的に報道する。

昨年の11月12日にNHKBS1で「ヨーロッパ 台頭するポピュリズム(Europe, The Rise of Populism)」というフランスのRoche Productionsというところが制作したドキュメンタリーを放送した。

イタリアの五つ星運動、フランスの国民戦線、オランダの自由党ハンガリーのヨンピクといった、現在ヨーロッパで勃興している保守政党についてのドキュメントで、一見公平さを装いつつも、内実は彼らを糾弾する内容となっている。反移民的であるというだけで、彼等を一方的にナチスに例え、人種差別主義者であるという視点に誘導するのである。あまりにも偏った見方と思われたが、フランスのリベラルの視点を知る上では参考になる番組であった。

番組の中である少年が語る次の言葉は率直な気持ちだろう。

「移民のもつ価値観は西洋文明となじみません。特にオランダのようなオープンな国ではね。」

また次の夫妻の発言もしかりだ。

夫「移民はオランダの文化に適応し自分たちの文化は脇へ置くべきです。このまま行くと20年後にはオランダ人のアイデンティティーが完全に変わってしまうでしょう。そうなったらオランダという国が認識できなくなってしまいます。」

妻「オランダ語だって話されなくなるんじゃないかしら。私たちの言葉が消えてしまうわ。」

番組の中では上記の発言は人々の間に人種差別主義が拡がっているという文脈の中で描かれている。移民の問題は複雑であり、その文化的適応には深く練られた政策が必要であろう。しかし「高尚な」理念に浸って、フランスで育てば自然とフランス人になるとばかりに闇雲に移民を受け入れ、適当な対策も講じず、弱者を救えと条件反射的に移民を支持してきたのは彼等リベラルが率先してやってきたことであろう。そして政策の矛盾が露呈するや否や、反省するどころかその責任をすべて保守勢力ににすべて押しかぶせようとしているように見える。

一昔前までは、西欧において移民に関して疑問を公言することは出来なかったと言う。人種差別主義者とリベラルメディアから激しく攻撃されたからだ。リベラルは彼らに反対する言論の自由を認めようとしなかった。しかし現実の中で生じる軋轢はついには人々をして路上へと駆り出したのである。これに対するリベラルの焦りが次の言葉には感じられる。

「主導者はオランダの寛容さを逆手にとって移民を激しく攻撃するという新しい戦略を編み出しました。」

番組の最後は次のようなナレーションで締めくくられる。

「変わり続ける社会の中で、自分たちが何者であるかという確信を人々は持てなくなってきています。ウィルダースはオランダ人に共有できそうな考えを提供しました。それは、オランダ人を定義する時、イスラム教徒ではない、ということを前提に据えたものだったのです。アイデンティティーの模索はポピュリスト政党が票を集める要因の一つとなっています。」

「自分たちが何者であるかという確信」を持てないのは、これを語っているリベラルの方ではなかろうか。保守の人々は自分たちが何者であり、何を守って行きたいかを番組の中でもはっきり語っている。それに対してリベラルは答えを持ってはいない。リベラルは条件反射的に移民を支持してきたが、それが破綻しかかった時、その責任を全て保守に押し付けているように見える。私がここで言いたいのは、人種差別を擁護しようと言うのではない。フランスの移民問題で、メディアでは一方的に保守が責められているが、移民問題の歴史的原因はメディアを含むリベラルの責任に帰するところが多いのではないか、ということである。

【タイの移民】
ここでアジアに目を転じてタイを見てみよう。国境が周囲に開いているタイはラオスミャンマーやインドや中国などから歴史的に広く移民を受け入れてきたが、それは南部の一部の地域を除いてはうまく行っているように見える。そして移民をうまく束ねている存在は、フランスのリベラルな共和主義者なら嫌悪するであろうタイの国王だ。

タイ国民が王様を愛するように移民達もタイにやってくると王様を愛すようになり、王様の仏教のダルマの下で、彼らのヒンドゥー教、イスラム教キリスト教といった信仰も保護されるのである。

そして国内でどのような政治不安が起きようとも、国王のお声がかかると皆静かにそれに従う姿を我々は何度も目にしてきた。

さらに南に下ってインドネシアの王様について考えてみる。インドネシアでは王政は崩壊したが王家は各地に若干残っている。1997年のアジア通貨危機以降、国中で暴動や略奪が起きたが、ジョグジャカルタでは起きなかった。ジョグジャカルタの王様が出てきて平静でいるようにと人々に呼びかけたからだ。当時私はインドネシアにいたが、そのことを耳にし、また記事でも読んだ。このことは西洋人の耳目をも驚かせたようで、ロンリープラネットのようなガイドブックにまで次のように書かれている。

「今日独立戦争から50年以上経過しているが、ジョグジャカルタの王家は盲目的な献身を民から受けている。実際1997年5月の暴動で他のジャワの都市を苦しめた略奪や放火からジョグジャカルタを救ったのは、スハルト体制に反対する学生デモの怒りを鎮めたハメンクブォノ10世手による調停であった。」

タイの人々やジョグジャの人々が王様を愛するのは上で語られたように「盲目的(slavish)」であるからではない。それは歴史的経験によるものでもある。ジョグジャに近いソロにも王家は残っているが、ソロの王家はジョグジャほど民の信奉は受けていない。外国勢力が迫った時、ジョグジャの王は民とともに戦ったが、ソロの王は国を売り渡したからである。またタイの王が国民から信奉を受けているのも、帝国主義の時代に賢明な王の判断で極東アジアにおいて、唯一日本とともに独立を守り切ることが出来たからである。

どのような政治体制であれ、それを司るのは人間であるから、その政治体制が上手く行くかどうかは人間次第だ。王制であろうと民主制であろうと同じことだ。

だからある政治体制が絶対的に正しいということはあり得ない。その点では、異なる政治体制への盲目的信者同士が相争ってきた現代よりは、循環政体論を説いたポリュビオスのような哲学者がいたギリシャ時代の方が、人々は現実的視点を持っていたのかもしれない。

しかし上述の歴史的経緯から、フランス人はフランス革命を誇りとし、王制を嫌悪する。アメリカにもまた同様の雰囲気があるらしい。イギリスからの独立革命を通じて成立した民衆の国家であるからだ。このことに関してマイケル・ヨン氏が書いている文章は以前紹介した。

「私はアメリカ人として生まれた時から王を拒否するよう育てられてきた。これが我々の教育法であり、学校で教わるものであり、そこにはそれ相当の理由もある。」

このことは日本人にとっても重要な指摘だ。アメリカ人はその教育を通じて日本の天皇に対しても好感を持っていないと考えられるからだ。

マイケル・ヨン氏自身ははタイの王様を愛しており、タイにいる外国人が抱いてしまうようになる王様への気持ちについても吐露している。

「私は生まれついてのアメリカ人であり、アメリカ人は生まれた時から王制に対して疑問を抱くよう教えられている。だからプミポン国王はタイと人類一般にとって、天からの授かりものであったと私が言ったのでは役不足だ。世界には、あと何人かこのような王がいても良いと思うが、しばらくは目にすることはなさそうだ。プミポン国王は今世紀の最も特別な人物として、歴史の中で注釈をつけられるようになるだろう。」

タイで王様の誕生日に黄色い服をきて、王宮前広場に行けば幸せな気分になれる。人々の王様に対する愛情と信頼、それに応えている王様の国民に対する愛情と仏教のタム(ダルマ)に基づく寛いお心がこの国を覆っていることを感じられるからだ。

タイ人からすれば、国家の制度という無機質なものを最上位に置くことはなんとも人間味や心のない国の形に見えるだろう。

【日本の移民】
フランス、タイと上記で見てきたが最後に日本の移民の問題について考えてみたい。日本の移民問題には二つある。これからの移民問題とこれまでの移民問題だ。

タイの例を何故持ち出したかというと、日本での移民問題の成功の鍵を握るのは天皇陛下の存在ではないかとも思われるからだ。

以前どこかで読んだ話だが、確かあるフィリピン人のお嫁さんが、「天皇陛下は毎日国民の為にお祈りされてるのよ」と、どこからか話を聞いてきて以来、ごく自然に陛下への崇敬の念を抱いている、という打ち明け話があった。外国人にとって天皇陛下は左翼リベラルが喧伝するほど抵抗ではないのかもしれない。

ところが現在の日本で最大の移民集団である在日韓国人朝鮮人は、反天皇制の中心勢力の一つとなっている。韓国政府から給料をもらっている公務員のような民団、テロ国家北朝鮮の手先である総連、外国勢力と結託する共産主義者たちの活動を長い間野放しにしてきたせいだ。

現状のままであれば、日本に移民のコミュニティーができれば過激反日勢力はすぐにそこに食らいついて、彼等を利用しようとするだろう。そしてリベラル一般がそれを後押しする。

彼等は移民のためと言って近づくが、実際は移民を日本に溶け込ませない。民団の歴史教育は極めて反日的であり、そのせいか、国籍取得が可能であるにも関わらず、多くの在日の人々が国籍取得をせず今に至っている。

2009年にフィリピン人のカルデロンさん一家の強制退去問題が注目されたことがある。両親は不法入国と不法滞在を犯しており、不法入国の方は公訴時効が成立していても不法滞在の罪は問われた。結果として両親のアランさんとサラさんは退去処分となるが、ノリコちゃんは叔母さんが保護者となり、在留特別許可を得て日本に留まることになった。カルデロンさん一家の支持者は法務大臣の裁量を期待して、一家全員の在留特別許可を求めて嘆願を繰り返したものの、願いは叶わなかった。

一般の日本人が彼等の為に温情を求めても不思議はないし、在特会のメンバーが彼等の強制退去を求めるデモをしたことは個人的には嫌な気持ちがする。しかし、そのデモに使う横断幕を引きちぎって逮捕されたり、非暴力のデモ隊に何度も襲いかかろうとして警察官に取り押さえられたり、ペットボトル投げつけたり、唾を吐きかけたり、デモ出発の予定地である公園の施設にはスプレーで落書きしたもの達がいた。カルデロンさん一家の支持者の中心は、温情を求める一般の日本人とはかけ離れた存在であった。

支持する人々も、いわゆる反日色の強い弁護士、学者、そして在日の組織などであった。

これからの日本の移民問題についていろいろと議論する前に、まずこれら移民を食い物にする反日勢力の除去が最初の課題となるだろう。