ジョン&万次郎5【差別と朝鮮文化4】

ジョン&万次郎5【差別と朝鮮文化4】



ジョン&万次郎1【日本における反韓の起源】

ジョン&万次郎2【差別と朝鮮文化1】

ジョン&万次郎3【差別と朝鮮文化2】

ジョン&万次郎4【差別と朝鮮文化3】

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万次郎「ブラウニーをツマミにバーボンを飲むのも結構いいもんだね。」

ジョン「ところで韓国人の『恨』ていうのは一体なんなの?」

万次郎「歴史について語る前にそれは押さえておいた方がいいかもね。僕が理解しているところでは、そんな難しいもんじゃないと思うよ。たとえば呉善花さんは次のように説明してる。

「韓国の女は、自分より美人の存在があることによって、「恨」を抱え、「恨」を抱えることによって、「恨をほぐす」ことへ向かうパワーがより強力に発揮される。自分をより美人にして行く努力の過程は「恨」をほぐしていく過程であり、しだいに「恨」がほぐれていく実感が生き甲斐ともなる。恨をバネにして生きる力が発揮されるのだけれども、逆にいうと「恨」がなければ生きる力が出てこない。恨をもちっぱなしで生きることにもなりがちである。」
(『韓流幻想』呉善花 p193)

韓国の「恨」とは日本語で言うところの「恨み」じゃないんだね。そういう使われ方もあるみたいだけど、一般には「恨み」を持つ以前の、より初源的な心理的反応で、心の中に不安や危機感というストレスが生じている段階だ。

韓国人じゃなくとも、上の例のように、自分の彼氏あるいは彼女が、自分以外の見目麗しい人間に惹かれているんじゃないかという不安や危機感を持つことは普通にあるだろう。

だから実は『恨』が生じる段階までは、日本人も韓国人も同じだといっても良いかもしれない。日本人と韓国人の文化的な差異は、この「恨」の取り扱い方の違いから生じる。上記の女性は『恨』を、ステップアップの契機として肯定的に捉えようとしている。これは日本ではあまり見られないことだ。仏教的観点からしても『恨』は苦の一つだと捉えられる。不安や嫉妬といった心の苦しみは人間の心理的現象であり心の病であるから、これを取り除くことを仏教では奨励する。この考え方は極めて内面的であり内省的だ。」

ジョン「キリスト教もその点では内省的だね。」

万次郎「そして仏教では『苦』を堅固な実態とは考えない。『苦』にはそれが生じる縁があるので縁を断つことによって『苦』は消えるわけだ。またそのことによって新たな苦も生じなくなる。一方韓国人にとっての『恨』はより実体的な存在だ。内省的傾向の薄い韓国人の場合、「恨』は外部環境からもたらされるものであり、外部環境を変えることで解くことが出来ると考えられる。さっきの女の子の場合なら、ダイエットしてスタイルを良くするとか、整形するとか、相手の女の子に圧力をかけて手を引かせたり、彼氏の前で貶めるということに努力を傾注することになる。

日本と韓国の間に大きな社会的環境の違いがあるとすれば、それは個々の文化において何が『人生の目的』と考えられているかということだ。韓国人の人生の目的を特徴付けるのは、ソーシャル・クライミング、社会的上昇への強い情熱だ。これが都市や地方といった水平的拡がり、あるいは社会階層という垂直的拡がりにかかわらず、韓国社会を万遍なく覆っている。社会的上昇とは何も会社などのおける実際のポジションに関してだけでなく、容姿でもその他のことにおいても、とにかく他人の上に立つことだ。そして整形で皆同じ顔になるように、彼らの価値基準は画一的で多様性を欠いている。その価値観を共有しながら互いに争い合っている。これが韓国の社会的環境だ。」

ジョン「鶏のペッキング・オーダーみたいだね。」

万次郎「ああ、鶏のツツキの順序ね。何十羽いてもすべての個体に明確にランキングが割り当てられているっていう奴だろう? 人間の中では韓国文化が一番それに近いかもしれないね。そういう社会的環境にあるわけだが、現実の生活においては、自分が求めるポジションと実際のポジションには常に開きがある。特に『ソルレバル』と呼ばれる韓国人特有の楽観的傾向は、期待に対する裏切りを絶えず生みやすい。だから韓国文化は『恨』の温床となる。そしてそういった『恨』がすべて解けるわけもなく、韓国社会にはストレスが渦巻く。そして内省的傾向の薄さは、そのストレスを他人に対して向けることになり、韓国人は自らの国民性を評して『湯沸かし器』性格と呼び、あるいは『火病』という名前で米精神医学会の『DSM-IV』の文化依存症候群の一つにあげられることまでにもなるわけだ。」

ジョン「でも今みたいに順を追って考えてみると、その原因は決して複雑なものではないみたいだね。」

万次郎「韓国文化における『内省的性格の希薄さ』および『道徳の外面性』といった性質は韓国文化を他の文化から際立たせる。というのも、アジアであろうがアフリカであろうが、一般に小さい子供は嫉妬やそれから生じる攻撃を見せるが、ほとんどの文化において、教育や社会化の過程の中で内省や他者との和解について教え込むからだ。」

ジョン「…でも韓国人はそうでない。それが韓国人が小さい子供のように見える理由だね。不思議なのは儒教がどうしてそういった機能を果たしていないのかということ。」

万次郎「ないわけじゃないけど、戦国時代の動乱期に生まれた儒教は、秩序の回復に主眼が置かれていた。『孝』や『忠』はその為のルールだ。また韓国儒教の中心的なモティーフは祖先に対する『孝』だけど、現世における社会的外面的成功こそが、祖先の恩に報い、祖先を喜ばせることだという風に考えられているんだね。」

ジョン「わかった! その異常な祖先崇拝が、韓国に激しい社会的上昇欲を産んでいるんだ!」

万次郎「そういう面は確かにあると思う。でもね、お金や時間をかけた祖先崇拝の祭祀には自らの宗族の権勢を周囲に対して誇示する意味もあって、ジョンが言ったこととは反対に、社会的上昇欲が祖先祭祀を生んでいるということもあるんだよ。」

ジョン「逆の因果関係だね。」

万次郎「そして興味深いことは韓国人と我々の間には理解の一方向性が見られることだ。我々から見ると、韓国人における『内省的性向』の希薄さや、『血縁を超える集団意識』の希薄さはクリアなガラス越しに見るようにわかる。しかし彼らの側からは、『内省的性向』や『血縁を超える集団意識』を持っている、ということがどんな状態かはわからないんだ。このガラスはマジックミラーで出来てるんだね。畢竟、彼らが我々を評して何か言う時は、実は鏡に映った自分たちの姿を見ている、ということになるんだね。」

ジョン「マジックミラーの館に閉じ込められて、鏡に映った自分の姿に向かって怒鳴りつけている韓国人…」