タイ反政府デモとは何だったのか 6

マイケル・ヨン氏のオンライン・マガジンからの翻訳です。

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タイ騒乱: いくばくかの観察と見解

パート1(約10のうちの)

20 March 2014


演者: アピシット、自由ブッダ、ミャンマーの占い師、民主党員、農民、良いジャーナリストと悪いジャーナリスト、KPTメン・イン・ブラック、PDRC、タイ貢献党、サンティ・アソック、サティッシュ・セーガル・ステープ、タイ軍、タイ警察、クリスティー・ケニー米大使、黄シャツ、インラック、あなた

【写真】アピシットは12人の殺害の告発に対する恩赦を拒否

アピシット・ウェーチャチーワはタイの元首相である。

アピシットと私がゴルフ仲間で、昔からの友人であるというのは誤解である。これはプロパガンダの結果だ。本当のところは、2010年にバンコクで激しい闘争があった直後に彼とともにハジャイへ一度旅行したことがある、というのが我々の間の関係だ。後に彼の本『The Simple Truth』が出版された時、最後の二ページは私の手によるものであった。それは私の許可の下、私のフェイスブックから転載されたもので、アピシットと彼の副首相ステープ・トゥアクスパンに対する殺人の告発は、インチキで不公正なものであると単に述べたものであった。

最近になって、我々は個人的に二回話し合ったが、それはトータルで約三時間ほどである。

これがゴルフ仲間の日々と呼ばれた我々の関係の程度である。私は彼とともにコースに立ったことはない。私がステープとアピシットに対する殺人の告発を否定するのは、我々の友情に基づくものではなく、私が2010年の闘争の目撃証人であり、当時の政府指導者を殺人の罪で告発することが私の正義の感覚をして怒らせたからなのである。

しかし、どのような言葉でアピシットについて言及しようと、逆襲と非難を受けるのは避けがたい。「この殺人者め!」 非難する人々は悪意を持っているようには見えないが、頭の中に間違った情報があるのである。言葉を変えて言うならば、善人が偽の情報に基づいて悪い裁定を下しているのだ。

2010年の闘争の真実はこうである。少数の赤シャツの抗議者は過激なまでに攻撃的であった。これには幾つか説明を要する。

"赤シャツ"は圧倒的に平和的な人々である。私は"黄シャツ"や民主党員やPDRCやその他の誰よりも長い時を、北部タイで赤シャツと過ごした。赤シャツには多くの濃淡があり、赤の中には種々の異なる信念があるのだ、ということに留意しなければならない。

例えば、ある赤シャツは親共産主義であり、他のものは共産主義を拒む。ある赤シャツは貧乏であるが、他のものはどのような基準をしても金持ちである。あるものは低い教育しか受けていないが、多くのものは博士号を持っていたり、外国に住んで世界を旅行している。この現況を"金持ち vs 貧乏人" あるいは 黄 vs 赤の間の論争と捉える試みは、表面を擦ればすぐに皮が剥がれる。これを見抜くのにどんな訓練も必要ない。目を開いて、ちょっと擦ってみるだけで良いのだ。

反タクシンのPDRCのメンバーには、億万長者と貧乏人、そしてその間に位置する人々が含まれる。例えば、あるバイクタクシーの運転手たちは、そのバイクと燃料を供してPDRCのメンバーを移送する。このようにしてバイクタクシーの運転手ですらPDRCに対して寄与しようとするのである。PDRCは、昨年草の根運動としてスタートし、たちまち何百万もの追随者を集めた、正式名で呼ぶところの、人民民主改革委員会なのである。

【写真】PDRCのリーダーであるステープ・トゥアクスパンは、12人の殺害の告発に対する恩赦を拒否した。ステープとアピシットは、同様の恩赦法案でタクシンがタイに戻ることを許すよりかは、告発を面と向かって受け止める方を望んだのだ。

ある赤シャツの人々にとってはタイの国旗を身につけることは死に値する違反行為である。これらの少数者は愛国的ではない。このことは、ほとんどのタイ人は、アメリカ心臓部の人々と同様に愛国的である、という文脈の上に置いて捉えられなければならない。ほとんどのタイ人はタイ人であることを愛している。あるアメリカ人がアフガニスタンで私に語ったように、タイ人が好むことは、和気藹々とピクニックに出かけることと、まさしくタイ人としてあることだ。それゆえ少数の赤シャツが国旗を嫌う時、国旗を非難するアメリカ人を我々アメリカ人がいかに見るか、ということから事の本質を伺えるのである。我々の国がいかなる多くの問題を抱えていようとも、我々は国家に対する忠誠は失わない。

私にはチェンマイで個人的に日々交流した赤シャツの人々がいる。彼らも皆と同様に愛国的であり王様を愛している。すべての赤シャツが王様を愛していないというのは真実ではない。それは薄っぺらな虚偽だ。私は赤シャツの家々を訪れ、ロイヤルファミリーの写真を見るし、人々は王様に忠実だと言うだろう。このように赤には濃淡がある。実際、私が知っているある赤シャツの人々は、まるで民主党員か黄シャツであるかの如く語る。多くの人が赤シャツに加わるのは、イデオロギーを通じてではなく、彼らを取り巻く環境や彼らに対する支援によるのである。

もし誰かが今の抗議を"黄シャツ vs 赤シャツ" や "金持ち vs 貧乏人" の間の論争であると特徴付けるなら、それらの意見は過度の単純化として斥けられねばならない。多くの黄シャツの同調者が、PDRCのような他の組織の正式メンバーであるにもかかわらず、実際のところ、黄シャツの場合は組織としては著しく希薄な存在だ。

【写真】政府の失敗に抗議して米の支払いを求めてバンコクにやって来た、穏やかな稲作農民

それ以外の、人々の頭の中に続けざまに浮かぶ考え事は、王位継承の周りを巡っている。それはこの王国ではほとんどタブーであるのだが、多くの人々は個人的に議論している。この問題について個人的に私と話そうとしないタイ人に私は出会ったことがない。

2010年の闘争や今も続く2013年から2014年にかけての抗議デモが、単に王位継承を巡るものだという考えは馬鹿げている。私は生まれついてのアメリカ人であり、アメリカ人は生まれた時から王制に対して疑問を抱くよう教えられている。だからプミポン国王はタイと人類一般にとって、天からの授かりものであったと私が言ったのでは役不足だ。世界には、あと何人かこのような王がいても良いと思うが、しばらくは目にすることはなさそうだ。プミポン国王は今世紀の最も特別な人物として、歴史の中で注釈をつけられるようになるだろう。これに関してはここまでにしておこう。

王位継承問題が主要な背景要因であることは疑いをいれず、そしてこの問題はいつか目の前に踊り出すだろう。しかし2010年の闘争と現在のホイッスル吹きの抗議デモは他の問題だ。

現在の抗議デモで起きているほとんど全ての暴力は、抗議者に対して向けられてきたのであって、抗議者から引き起こされたものではない、ということを付け加えておくことは重要だろう。現在の抗議者たちは圧倒的に平和的である。私は彼らを一週間に七日見ている。今私のいるところは、ルンピニ公園のPDRCの最も最近のキャンプのちょうど横である。私の窓からそれを望むことが出来る。彼らを暴力的だと描写するいかなる試みも誤りである。

パート2ではよりシリアスに扱うので待っていて欲しい。

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元記事



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マイケル・ヨン氏はアメリカの人で、独立取材を続けるジャーナリスト、コラムニストであり、また写真家でもある。2008年にNew York Times紙は、マイケル・ヨン氏のことを、最も長くイラクで戦闘部隊に従軍した作家であると紹介している。

日本では慰安婦問題で、公平な報道をする数少ない欧米人ジャーナリストの1人として知られている。

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