ジョン&万次郎6【差別と朝鮮文化5】

ジョン&万次郎6【差別と朝鮮文化5】



ジョン&万次郎1【日本における反韓の起源】

ジョン&万次郎2【差別と朝鮮文化1】

ジョン&万次郎3【差別と朝鮮文化2】

ジョン&万次郎4【差別と朝鮮文化3】

ジョン&万次郎5【差別と朝鮮文化4】

    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    ✳︎    


万次郎「今から李氏朝鮮の歴史と儒教というものについて考えてみることにするかな。」

ジョン「ところで日本も儒教の国じゃなかったの?」

万次郎「そうだね。日本の場合は最初は仏教の坊さんたちが研究してたけど、江戸時代に入って封建制の秩序維持のために家康に採用されて、主に武士の間にひろまった。でも民衆の間には朝鮮ほどは拡がらなかったね。」

ジョン「李氏朝鮮の場合は儒教が国教だったんでしょ?」

万次郎「その通り。でもね、李氏朝鮮における儒教の意味の重みは日本とは比較にならないほどなんだ。それは単に『李氏朝鮮においては儒教は国教だった』という言葉だけでは汲み取れないものでね、高麗にも科挙の制度があったし、仏教では国内統治の道具にはならないので儒教も必要とされた。でも李朝儒教はもっと本格的なものでね。それを知るには李氏朝鮮の成り立ちということから考えないといけない。ところでジョンは李氏朝鮮がいつごろ誕生したか知ってる?」

ジョン「え!?  えっと、確か元寇の時に元と一緒になって日本に攻めてきたのは高麗だったよねえ。まだ李朝にはなってなかった。元寇が13世紀末だから、14世紀か15世紀頃かな?」

万次郎「元寇だなんて、よく知ってるね。」

ジョン「こないだ九州に旅行に行ったからね。」

万次郎「なるほど。その元が中原から退いて明が建国されるのが、文永の役から約百年後の1368年でね、この交代劇の影響を受けて、朝鮮半島において高麗が滅び、李氏朝鮮が起きるんだけど、それはその24年後の1392年のことだ。」

ジョン「ふうん、24年というと干支で言えばふた周りだね。元が滅んで明が起きたから、朝鮮半島の王朝が変わったわけだね。」

万次郎「そうなんだ。今元寇の話が出たから、李朝について語る前に、せっかくだから、それについてちょっとコメントするね。高麗軍は元軍と一緒になって日本に攻めてきたから、高麗を悪し様に言う人もいるけど、元のことでは日本人は高麗に感謝する必要もある。」

ジョン「なんで?」

万次郎「元寇というものは、第二次世界大戦以前は、日本にとって、唯一の外国勢力の日本本土への侵略だったから、日本人は悲惨な出来事としてよく覚えている。でもね、高麗が元に対して抵抗して頑張らなかったら、もっともっと悲惨なことになっていたかもしれないんだね。」

ジョン「高麗は元に対して簡単に白旗を上げたわけじゃなかったんだ。」

万次郎「それどころか何十年も頑張ったんだよ。」

ジョン「陸続きで元軍に対して、よくそんなに粘れたもんだねえ。」

万次郎「モンゴル軍が高麗に最初に侵攻したのは、1231年で、この時は首都開城が陥落して高麗は降伏、大量の奴隷と貢物を要求されたんだね。それで以後は江華島という陸からほど近い島に朝廷を移して、そこに20年以上立て籠もって対抗するんだ。」

ジョン「それを攻め落とせなかったのは、やっぱりモンゴル軍は海戦は苦手だったからかな。」

万次郎「草原・平地での戦いは得意としたが、海や山は苦手だったみたいだね。半島では一部の人々は山城を築いて逃げ込んだらしいよ。李朝朝廷が江華島で抵抗している間、モンゴル軍は、大きく分けると四回の遠征を行って、略奪し、殺し、捕虜をとり、あるいは補給を断つ為に農地を焼き払うということもやった。そして最後にはついに国王も降伏して江華島を出ることになるんだね。その後に起きたモンゴル軍の遠征では破壊と略奪は六年間に及び、これにより高麗王朝は全面降伏、多くの地がモンゴルの直轄領となった。この時点で元の目は、ようやく東の海の向こうの日本に向けることが出来るようになるんだね。」

ジョン「朝鮮半島を通れば近いもんね。」

万次郎「そして、日本を攻略するには高麗の船団がなければ不可能だからね。」

ジョン「じゃあ、高麗王朝を倒した元軍はすぐに日本にやって来たの?」

万次郎「いや、元にはまだ問題があったんだ。このようにして高麗王朝は全面降伏したんだけど、その後になっても三別抄と呼ばれる武人たちはなおも抵抗を続けていたんだね。」

ジョン「がんばれ、三別抄! 」

万次郎「えらく感情移入してるね、どうしたの?」

ジョン「なんか急に、そういう気分になった。我々アングロサクソンには尚武の血が流れてるからかも…」

万次郎「彼らはその時、日本に援軍を要請したんだけど日本側ではこれに答えなかった。1273年に済州島にて三別抄が壊滅することによって、40年間続いた高麗の抵抗はここにすべて終焉した。そしてその翌年に元と高麗の混成軍が日本に攻めてくることになる、こういう歴史的流れなんだ。」

ジョン「いやあ、朝鮮にも勇敢な武人がいたんだねえ。」

万次郎「実はね、この時の高麗は武人政権だったんだ。」

ジョン「そうなの? 韓国は文人を尊び、武人を卑しむ国だと思っていたよ。」

万次郎「それはそうなんだけど、それに腹を据えかねた武人がクーデターを起こしたんだね。で、軍の合議機関が実権を握るようになって、ちょっと日本の鎌倉幕府にも似た存在だった。」

ジョン「だからそれだけ戦えたんだね。」

万次郎「ほんとうは武臣の長であった崔氏はあくまで江華島に立て籠もって、抵抗を続けるつもりだった。でも文臣グループと国王が、停戦・講和にもっていくために、武人を抱き込んで崔氏を暗殺しちゃったんだな。」

ジョン「なんて奴らだ!」

万次郎「でも講和をして良かったのかもしれないよ。高麗王朝は金や南宋と違って滅ぼされなかったしね。でもそれは30年粘りを見せた武人政権のおかげだとは思うけどね。武人政権は滅んだけどね。」

ジョン「韓国にも誇れる歴史があって良かったね。」

万次郎「それがそうでもないみたいでね。韓国の歴史家にとっては、武臣政権の時代は儒教が衰えた暗黒期と見る傾向が強いみたいなんだ。」

ジョン「両班歴史学者め!」

万次郎「この時に韓国で武人政権が衰えなければ、今の韓国人はずいぶん違ったかもしれないね。ともあれ、元が日本に来るまでにこういうプロセスがあったわけだ。」

ジョン「なるほど。もし高麗がそこまで抵抗しなかったら、もっと早く元は日本にやってきたわけだ。」

万次郎「二度の元寇が終わった後でも、フビライは三度目の遠征をずっと目論んでその為の準備をしていたから、日本としては、その後も元が滅ぶまで安心できなかったわけだね。幸い色んな原因が重なって、そうはならなかったけどね。でも元寇の余波で国内はガタガタになって朝廷が二つに分かれることにもなった。」

ジョン「高麗は日本の為に戦ったわけじゃないけど、日本にとってはありがたい事だったわけだね。」

万次郎「ちなみに朝鮮戦争の場合は、米軍を中心とする国連軍は日本を共産主義から守る為に戦ったんだと言われているね。」

ジョン「それはその通りだけど、そのことで日本が感謝することはないと僕は思うよ。本来満州に防共の砦を築いていた日本を、そこから取り除いて、ソ連軍を参戦させたのはアメリカだからね。」

万次郎「中国で共産党が勝ち進むのも、ただ黙って見ていたしね。ただこういった歴史は、日本がロシアの侵略を防ぐ為に朝鮮を併合したことも含めて、この半島の地政学的状況を物語ってはいるよね。朝鮮は正史の中に記載されているだけで900回以上も外国の侵略を受けたそうだ。ちょっとこの歴史の悲惨さは我々には想像し難い。」

ジョン「アメリカ本土もほとんど他国の侵略を受けたことはないよな。独立戦争でイギリス軍と戦ったけど地上戦はそれだけじゃないかな。第二次世界大戦では、日本軍とドイツ軍が、それぞれ西と東の海岸に来た。独立間もない頃にフランスと揉めたりしたことはちょっとあったけどね。そんなもんかな。」

万次郎「その点では韓国は我々とは違って、歴史的に外国に対する強い警戒感をもっているみたいだね。とにかく高麗王朝は元に完全降伏した後、べったりと服属することになり、高麗貴族の間ではモンゴル文化が流行したりするようになる。」

ジョン「あらら」

万次郎「まあ日本の場合も、アメリカに負けてからはアメリカべったりだけどね。」

ジョン「そういえば日本には反米感情が少ないよね。ヨーロッパなんかだとアメリカを馬鹿にしたり嫌ったりする感情が、もっと普通にあるんだけど。」

万次郎「日本の反米感情の低さはガーナやケニア並みの世界最低ランクだ。ほら、この表を見てご覧よ。」

ジョン「本当だ。アメリカ人としてはありがたい話だけど、それは何でなんだろうね。」

万次郎「リベラルの中には思想的な反米感情もあるだろうけど、日本のメディアのリベラル色に相反して、日本人全般は保守的傾向が強いからね。日本の保守が総じて親米的なのは、ソ連や中国などの共産圏と海を挟んで対峙してきたという地政学的な要因のせいだろうね。」

ジョン「単純にアメリカ人やアメリカ文化が好きだから、というわけではないんだね。」

万次郎「勿論そういう面もある。そういう意味ではアメリカ人とアメリカ文化は世界中から好かれているよ。そして多くの日本人も、何故反米意識が低いのかと尋ねられたらそう答えると思う。だけどね、それだけなら、反米意識の低さに反比例して親米意識が大きくなければいけないだろう? だけど、ほら、見てご覧。統計的にはそうなっていないんだね。」

ジョン「本当だね。でもそれは、日本が安全保障でアメリカに期待してるからなのかなあ。」

万次郎「たとえばね、オバマさんが慰安婦問題や靖国問題で日本を批判したと受け取られた時に、多くの保守の日本人の言動の中に、珍しく明らかな反米感情が芽生えたんだね。何故ならオバマさんは知ってか知らずか、中国や韓国の覇権戦略に加担したからだ。それを考えると日本人の反米意識の低さは、日本人の安全保障の観点とリンクしていると考えても良いと思うね。」

ジョン「じゃあ、今後の政治的状況によっては、日本人の中にまた戦争中のように反米感情が盛り上がる可能性だってあるってこと?」

万次郎「今までは日本の安全保障政策とアメリカのそれとが一致していることが多かった。でもかりにアメリカが中国と協調政策をとり始めたりしたら、有り得るだろうね。この点については、多分日本人よりもアメリカの政策担当者の方が良く理解してんじゃないかと思うことがあるけどね。話を戻すと朝鮮の場合でも、高麗末期になると、国際環境の変化に応じて朝廷内部の国論は二分されるようになる。その時には新しく明が起こり、元は北方に退けられて力を失いつつあったんだね。そのような状況下、高麗の朝廷は親元派と親明派に分かれることになる。そして国教的な地位にあった仏教のかわりに新しい思想潮流である朱子学を学んだ新進官僚たちは、この親明派の側だったわけだ。」

ジョン「親明派に追い風が吹いてるような感じだね。」

万次郎「朱子学官僚たちは朱子学的理念に基づいて国家を運営しようとする点において共通していたが、その方法論を巡って二つに分かれていた。一つは高麗王朝の体制内において改革をしようとするグループ。もう一つは朱子学的理念に基づいた新王朝を建てようとしたグループだ。」

ジョン「社会主義における漸進主義と急進主義みたいだね。」

万次郎「まさしくその通り。そして急進主義のグループは、高麗王朝の天命は尽きたと主張して、クーデターを起こす根拠としたんだ。」

ジョン「天命って説明してもらえる?」

万次郎「天命思想とは支那に古くからある政治思想で、国家支配の正当性は、君主が天帝より使命を与えられていることにある、とするものだ。君主はまた天帝の子ともされ、だから天子とも呼ばれる。そしてまたこの正当性は君主自身の徳をも基盤とし、君主が徳を失うと、その時点で天命は尽きることになる。そこで天帝は新たな有徳者を見つけて、天命を革(あらた)める。これを革命というんだね。」

ジョン「その点はヨーロッパの王権神授説より柔軟な発想だね。」

万次郎「そしてこの急進主義的・革命的朱子学がもととなり、軍人李成桂がクーデターを起こして李氏朝鮮王朝を打ち立てることになる。そして今度は彼らが、新王朝が天命を受く正当性について人々を納得させる必要が生じることになったわけだ。このような国家の成り立ち・素姓が、500年の歴史を通して社会の中に朱子学思想を浸透・貫徹させていく努力を続けていくという、その後の国家としての型を規定したんだね。」

ジョン「なるほどねえ、よくわかった。確かに単なる『国教』という言葉ではその重みは言い表せないね。そして儒教が持っている思想的価値とは別に、儒教を国体に組み込まねばならぬ政治的な事情があったわけだね。」

万次郎「そう。それが僕が言いたかったことだ。そして現在の北朝鮮政府も、社会全体の理念的組織化という点においては、歴史的精神的な親である李氏朝鮮に忠実であるとも言えるわけなんだね。」

ジョン「北朝鮮李氏朝鮮の孝行息子?」

万次郎「孝行息子よりは極道息子だけど、親にどうしようもなく似てしまったパターンかな。さて、今までの話は李氏朝鮮の国内的な正当性の話だ。もう一度国外に目を転ずると、中原では、天命が革まり明が興っている。李氏朝鮮は明と親子のような関係を結ぶんだが、そのことで、李氏朝鮮の正当性は、明の正当性によっても支えられていることになる。つまり明が天帝から受けている天命が、明国王を通して李朝の王にも分け与えられているという関係だ。このことからも李氏朝鮮は明の忠実で熱心な模倣者としての行動を取っていくことになるんだね。」

ジョン「朝鮮の外交政策は、大に事(つか)える事大主義って言うけど、明との関係においては事大主義っていう言葉だけじゃカバー出来ない緊密な政治思想的繋がりがあったんだね。」

万次郎「そう。このように李氏朝鮮にとっての儒教朱子学は、その国体のもっとも本質的な部分を構成するものであり、そしてそこには流動的な国際関係に従属する部分もあった。だから彼らの儒教について考える時はその点をも考慮しなければならないんだね。一方日本では、お坊さんや武士や町人で興味をもった人が純粋に学問的見地から儒教を研究したりなんかしていた。だから場合によっては両者の姿勢はまったく交わらないこともあった。日本の儒学者は朝鮮の儒教を煩瑣で哲学的ダイナミズムにかける形式的なものと見たんだね。ところがその形式性の中にこそ彼らの政治的ダイナミズムがあったということも出来るかな。」

ジョン「日本の場合は儒教オタクだったんだね。」

万次郎「それはちょっと、違うかも。」