タイ反政府デモとは何だったのか 2

マイケル・ヨン氏のオンラインマガジンの記事からの翻訳です。

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ホイッスル吹き: 超党派組織
22 April 2014

[写真] PDRCの指導者のステープ・トゥアクスパン氏: PDRCの群衆は、ホイッスルと国旗で簡単にわかる

この速報をその文脈において理解する為に、以前の速報を読まれたし:

タイ人の抗議者たちは暴力的か?

始めよう:

民主市民連合(PAD)と反独裁民主統一戦線(UDD)の群衆も簡単にわかる: 民主市民連合 = 黄シャツ。反独裁民主統一戦線 = 赤シャツ。

黄色は王様の色。民主市民連合(PAD)は強い君主制支持派だ。赤シャツ反独裁民主統一戦線の指導者層は、先鋭的に反君主制であるが、多くの個人の赤シャツ隊員は君主制を愛している。

重ねて言うが、黄シャツ隊と赤シャツ隊の集会は簡単に見抜ける:その大半が黄色か赤のシャツを着ているからだ。かくも簡単なこと。

PDRC (人民民主改革委員会 ) は普通、何か特定の色を身につけるということはない。彼らはホイッスルを持っており、大量の国旗を手にしている。黄シャツ民主市民連合も、タイ国旗を持つには持つが、 PDRCメンバーが手にしている数よりは少ない。赤シャツ隊はわずかにタイ国旗を手にしている。彼らはしばしば沢山の赤い旗を持っている。

旗に記された図柄と組織:

1) 黄シャツ民主市民連合はロイヤル・ファミリーを象徴するものを持っていて、あるものは国旗を手にしている。民主市民連合は高度に組織化されている。

2) ホイッスル吹きは、ロイヤル・ファミリーを象徴するものと国旗を持っている。ホイッスル吹きを緩やかに構成する個々の集団は、それぞれのレベルに従って自己組織化されている。ホイッスル吹きと呼ばれる超党派に含まれるのは、PDRC、KPT、ダンマ・アーミー、自由ブッダ、そしてその他数十もの組織だ。

数十というのは控え目な数字だ。3月1日の前に、PDRCのスポークスマンのアカナット・プロンパン氏は、約73の組織が人民改委に参加する意向だと筆者に述べた。当日の一日の中で、様々な服装とバナーを持ったグループがメインの集合に合流した時、アカナット氏の言葉は履行された。それは、そんな短い時間ではとてもリスト化出来ないほどの数であった。

本当のところは、数百にも及ぶ支持グループがあって、その多くはバンコクに抗議の為に足を運べないのだ。彼らは、しばしばPDRCの旗じるしの下、彼らの住んでいる県や、世界中の多くの国からPDRCを応援しているのである。ノルウェーPDRCがあり、USA、イタリア、オーストラリア、アンゴラ、その他各国のPDRCがあるのである。

ある支持者は世界各地からバンコクへと飛び、一方他のものは、滞在している国から財政的に支援する。そして彼らが何を目指しているかを多くの国の政治家に伝えようと努力しているのである。

ホイッスル吹きは、確固たる操縦桿を握るものは誰もいないままに、広く行き渡る超党派を形成している。そしてそれは常に変化し、発展している。

3) PDRCのホイッスル吹きたちは、ロイヤル・ファミリーの象徴を、あるいは指導者ステープ・トゥアクスの象徴を、あるいは大量の国旗を手にしている。PDRCは高度に組織化されている。PDRCはホイッスル吹きたちの核にあたる。

4) 赤シャツ反独裁統一民主戦線で、国旗や国王の写真を手にしているものは数えるほどだ。彼らが手にしているものは、インラックやタクシンの象徴、そしてタクシンの広報組織によって作成されたスローガンの書かれたプラカードだ。

5) 稲作農家の場合、多くがロイヤル・ファミリーを支持しているにも拘らず、わずかに旗と誰かの象徴を手にしているのみだ。彼らがバンコクに来たのは、金を求めてであって、理想や改革の為ではない。

農民の間には、"ステープ" --- 最高指導者はいない。彼らの典型的指導者は、村単位の、あるいは県単位のものだ。歴史的には彼らは、タイ貢献党、あるいは赤シャツ隊に導かれてきた。これほどまで多くの農民が、ホイッスル吹きに組み込まれている、ということは意義深い。

緩やかに形成されている農民組織は、いわばヒトデの行進に近い(翻訳者註: 一人では動けない、の意か?)。何故なら、ホイッスル吹きの組織と、経済的支援と、食料など安定した兵站がなければ、農民たちはバンコクにおいて、その存在を指し示し続けることは出来なかったからだ。

これらの外部からの支援の多くはPDRCや自由ブッダの人々によりなされ、KPTもある程度行い、また雑多な人々の自発的な寄付による。ダンマ・アーミーも協力的だ。より小さい規模の組織もまた農民をサポートしている。多くのこれら小さい組織のメンバーたちと、私は彼らのキャンプサイトにおいて話をした。しばしば彼らは大学から来ていた。

重ねて言うが、ホイッスル吹きのサポートがなければ、農民には組織の運営ノウハウも資金もない為に、彼らの抗議は衰えていったことだろう。従来赤シャツ隊とタイ貢献党を支持して来た農民は金を貰って参加していたのであるが、次の点は強調されてしかるべきである。今まで彼らは極めて深刻なレベルで扇動されてきたのであり、結果として、タクシンはかつてタイにもたらされたものの中で最良のものである、と彼らは確信している、あるいは過去において確信していたのである。民主党を支持するまでには至らないがもうタイ貢献党も赤シャツ隊もタクシンも支持しない、そう私に話してくれた稲作農民の数は100人をゆうに超える。

農民たちはその日暮らしであり、日々食べる為に働いている。それ故、彼らを農場から離してバンコクに抗議に赴かせるには、資金と組織と交通手段と補給が必要だ。赤シャツ反独裁民主統一戦線の保護の下にあっては、農民たちは金を貰って抗議をしたに違いないが、今日ホイッスル吹きと共にある農民にとって、彼らが必要とするのは組織だけだ。彼らの財政的な窮状が残りの部分の動機を占める。

ホイッスル吹きたちは、地方などに手を伸ばして農民を募ったことはない、ということに言及しておくことは大切だろう。農民は、コメ計画の瓦解のせいで自発的にやってきたのであり、それからその後に、ホイッスル吹きは農民をサポートし、両者は互いに力を合わせたのである。タイ貢献党や赤シャツ隊が、農民を募り、誘惑し、甘言を囁いた一方で、ホイッスル吹きたちは、次のように農民に言った。「集いへようこそ。ここにテントやキッチンがあります。自由に使ってください」。そしてそれから、多くの農民はホイッスルを身につけるようになったのだ。

かつて動員された赤い群衆は高価であった。それは村落レベルまで組織化された、タイ貢献党と赤シャツ隊の政治機構の手によるものであった。その同じ政治機構が選挙の為農民に金を握らせ、そして何年もの間、バンコクでの抗議に参加させる為、農民に金を蒔き続けてきたのであった。

資金がなければ農民は村から出ることは出来なかった。言葉を変えれば、農民の巨大な緩やかな組織体は、外部の手によって作られたもにであり、農民自身によって組織化されたものではなかった。多くの農民が、再びタイ貢献党に票を投じることはない、と私に語っている。農民たちは、彼らを破産に追い込んだ、政府の堕落したコメ計画に怒っているのである。

多くの村で、赤シャツは、地域のマフィアとプームチャイタイ党(タイ誇り党)に取って代わられたが、またしても、ほとんど全ての農民は、民主党に投票すると言うには至っていない。農民は民主党に対して忠誠心は持ってはいない。

農民は従来、タイ貢献党か、タクシンに率いられるその前身政党に組み入れられていた。彼らのサポートは金によるものであるが、それと同時に、10年以上に亘る組織的教化によって、今では多くの農民は、蓄積された赤シャツのスローガンや考えを、いつでも鸚鵡返しに答えることが出来る。

[写真] PDRCは、ここに見られる神経外科医や、ビジネス・リーダー達や、その他の有能な人々が、彼らの技術やリソースを自発的に提供するので、高度に組織化されている

繰り返すが、ホイッスル吹きの傘の下で最大のグループは、ステープ・トゥアクスパン氏に率いられたPDRCである。PDRCはホイッスル吹き達の核であり、そしてステープ・トゥアクスパン氏が、PDRCの核を束ねる強力な力となっている。

彼の下で、PDRCは優先的に平和が保たれている。今回の蜂起で語られぬ偉大な出来事の一つは、これが、世界が目撃した最も大きい平和的な蜂起の一つであるに違いない、ということだ。しかし、主流派メディアではほとんどこのことは報じられない。数百万のホイッスル吹き達の間に暴力が存在しないということは、これを説明しているといえないだろうか。

ホイッスル吹き達の間で始まったいくつかの暴力的出来事は存在しないわけではないが、数百万の人々がPDRCを支援し、過去六ヶ月に亘って抗議し続けてきたのだとすれば、こういった出来事は散発的で稀であると言える。そしてどうであれ、日常生活を含めて、数百万の人々が何かに参加する時には、ある出来事は、必然的な雑音とか "レベルX" という程度で生じるものである。

私の知る限り、ホイッスル吹きで、テロに従事したことのあるものはいない。ホイッスル吹きへの批判はPDRCを暴力的と描こうと試みる。ある観察者たちは、赤シャツ隊の明白なテロを糊塗すべく、両者を意図的に同列に置いて、ホイッスル吹きも赤シャツ隊もどちらも暴力的だと主張する。赤シャツ隊は実際前もって攻撃を公表し、それを犯し、子供が死んだ時ですらそれを祝うだろう。その後に誰かが、赤シャツ隊は暴力的だと言うと、彼らは怒り出すのだ。この組織的精神分裂病を説明するのは簡単ではない。

両者を同じく扱おうとするジャーナリストは、"バランスのとれたレポート"という見せかけの下であっても、知的に不正直であり、正確な文章が要求されるような地に足をつけた仕事をしていない。それは困難で、金がかかり、危険をともなう。実際のところ、伝統的メディア企業は、読者層を少ししか獲得できない事柄には、トップクラスのジャーナリストをフルタイムであてる余裕がない。同じことを我々はアフガニスタンで見てきた。クォリティーには金がかかる。そしてそれは金にならない。そのようにして我々は、ゴミを拾って、そのゴミをまた世に送り出すのだ。

[写真] オレンジ色に身を包んだバイク・タクシー

多くのかつては伝統的赤シャツ隊員であったものがPDRCに参加した。この王国に住んでいるものは、タクシー運転手とバイク・タクシーは、主に赤シャツ支持であることを知っている。私が乗ったあるタクシーの運転手は、ホイッスル吹きの検問箇所に差し掛かった時、ぶつぶつ言いながらホイッスルを取り出してバックミラーに吊るし、そこを去った後に降ろした。この手のドライバーは明らかにホイッスル吹きの支持者ではなく、彼ら自身もしばしばそう言う。

ホイッスルをつけているバイク・タクシーの運転手を見て、ホイッスル吹きの客を誘う為に付けているだけだろうと人は疑うかもしれない。ある場合にはそれは正しいかもしれない。しかし他のケースでは、彼等はホイッスル吹きを無料で乗せるボランティアを行う。私も何度かタダで乗せてもらった。

この手の情報は、現場に実際に身を置くことで少しずつ集められる。しかし、ほんのわずかの西洋人ジャーナリストしか時間を投資することをしない。私は2013年の12月から約4ヶ月間、週7日、多様な種類の抗議者たちと時を共にした。新しい記事を読むとわかるのは、ほとんどの国際記事は、他人の記事を読んで作られたメタ記事であり、そのもとの記事すらも、嘘で固められ囲い込まれた情報に立脚しているのである。もし西洋人のジャーナリストでそこで有意義に時間を過ごしたものがあったとすれば、私の目に入った筈である。

[写真] 宗教: 仏教徒、クリスチャン、ムスリムヒンドゥー教徒シーク教徒が、ホイッスル吹きとその支持者に含まれる

最後に: 「ホイッスル吹き」は、PDRC、KPT、ダンマ・アーミー、自由ブッダ、そして名もなき同盟者を包括した呼び名であり、彼等はインラック首相と彼女の家族、いわゆる「タクシン体制」を追い出して、タイの民主主義を形作ることを望んでいるのである。
多くの農民はホイッスル吹きと同盟を組み、ある農民は今ホイッスルを身につけているが、農民自身はホイッスル吹きではない。

(続く)
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翻訳おわり



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マイケル・ヨン氏はアメリカの人で、独立取材を続けるジャーナリスト、コラムニストであり、また写真家でもある。2008年にNew York Times紙は、マイケル・ヨン氏のことを、最も長くイラクで戦闘部隊に従軍した作家であると紹介している。

日本では慰安婦問題で、公平な報道をする数少ない欧米人ジャーナリストの1人として知られている。

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